新設:2009-01-01
更新:2023-10-10
三浦按針のプロフィール
三浦按針重用 家康の狙い
三浦按針ら来航の黒島
三浦按針はガリバー?
参考文献
三浦按針のプロフィール
三浦按針(ウイリアム・アダムス) Wiliam Adams は、イギリスのジリンガム(メッドウェイ市)で1564年に生まれた海の男です。
1600年4月・関ヶ原合戦の半年前、オランダ帆船(リーフデ号)に乗って九州豊後(現 大分県臼杵市佐志生黒島沖)に来航したイギリス人です。偶々、日本に初めて来たイギリス人でもあります。
三浦按針は、リーフデ号で一緒に来航したヤン・ヨーステン(耶揚子)と共に大坂城にて徳川家康の引見を受けましたが、徳川家康から重用されて外交顧問となり、江戸(東京都中央区)に屋敷を与えられました。
1604~1605年頃に家康の命により伊東(静岡県)の松川河口で日本初の洋式帆船(80トンと120トン)を建造したことにより、慶長10年(1605)に
相州三浦郡逸見(現 神奈川県横須賀市)に知行地を与えられて三浦按針と名乗りました。鈴木かほる説では 洋式帆船建造は関ヶ原合戦の直後
三浦按針は、家康の亡き後は 幕府が外国からの侵略を防ぐため キリスト教を本格的に禁じる政策に転じたことから不遇であったようで、故国イギリスに帰ること叶わず、1620年5月、平戸(長崎県)で病にて56才の生涯を閉じました。三浦按針は青い目のサムライともいわれています。
三浦按針は、J.スウィフト著「ガリバー旅行記」の主人公・ガリバーのモデルであるという説があります。→詳細
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三浦按針重用 家康の狙い
鈴木かほる著『徳川家康のスペイン外交』などによれば、徳川家康が三浦按針に江戸と浦賀に屋敷を与え 逸見村の采地を与えるなど 外交顧問として重用したのは、 フィリピンのマニラからメキシコのアカプリコへ向かうスペイン船を浦賀に寄港させ、スペインが保有するメキシコの金銀アマルガム製錬技術を導入するためであって オランダとイギリスとの交易は二の次であった。
家康は スペインとの通商は積極的に働きかけたが、オランダとイギリスとの通商は受け身であった。
オランダとの通商成立は、三浦按針来日から9年後、イギリスとは13年後であった。
貿易と布教が一体化したスペイン・ポルトガルとは異なって、オランダ・イギリスのように貿易と布教が分離された新教国との通商の方が家康の考えと合致するものであったにも拘わらず、浦賀入港をスペイン系商船のみに強要した。
メキシコ大使のカタリーナやビスカイノが来日したとき、幕府の意向を伝えたのは、常に三浦按針であり、ポルトガルの反対により浦賀・マニラ間の通商が中断した際に三浦按針をマニラに渡航させ、按針の交渉によって再開された。
三浦按針は 敵国人であるスペイン人に対し 外交顧問として公平に接し、私情を挟まなかった。これは 実利主義者の家康にとって好ましいものであった。
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三浦按針ら来航の島(黒島)
三浦按針(ウイリアム・アダムス)らが オランダ帆船・リーフデ号で来航したといわれる佐志生(さしう) 海岸沖に浮かぶ黒島 向かって右端の沖にリーフデ号が投錨したものと考えられている
撮影 2009-05-12
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三浦按針はガリバーのモデル?
ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)著「ガリバー旅行記」第3部第11章でのガリバーは 三浦按針(ウイリアム・アダムス)がモデルだという説があります
ガリバーは 1709年5月に江戸湾(東京湾)の湾口(Xamoschi)に上陸し 江戸に向かい 長崎からオランダ経由でイギリスに帰りました
その日本上陸地の Xamoschi(ザモスキ)は、Kannonsaki(観音崎)であるというのです。観音崎は、現在の神奈川県横須賀市鴨居の一部で、按針が徳川家康から与えられた領地・逸見に近く、浦賀からはもっと近い処にあります
「ガリバー旅行記」の当該記述を PUFFIN CLASSICS から 抜き出すと下のとおりです。ガリバーが日本に来たときは、三浦按針が日本に住んでいたときから 約100年後のことです。スウィフトは、三浦按針が故国イギリスに宛てた手紙の写しを読んでいたようです
→参考サイト「Gulliver Returns」
On the sixth day of May, 1709, I took a solemn leave of his Majesty,
and all my friends. This Prince was so gracious as to order a guard to
conduct me to Glanguenstald, which is a royal port to the south-west part
of the island. In six days I found a vessel ready to carry me to Japan,
and spent fifteen days in the voyage. We landed at a small port town called
Xamoschi, situated on the south-east part of Japan; the town lies on the
western point where there is a narrow strait, leading northward into a
long arm of the sea, upon the north-west part of which, Yedo the metropolis
stands.
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参考文献
フレデリック・クレインス著 ウィリアム・アダムス 家康に愛された男・三浦按針 筑摩書房刊
鈴木かほる著 徳川家康のスペイン外交 向井将監と三浦按針 新人物往来社刊
鈴木かほる著 史料が語る 向井水軍とその周辺 新潮社刊
森良和著 三浦按針 その生涯と時代 東京堂出版刊
鈴木かほる著 「三浦按針の「鬢髪出土」の誤報について― 明治三十八年『時事新報』の発掘調査報告より」 『海事史研究』第76号 2019年 日本海事史学会刊
鈴木かほる著「― スペイン史料から ― 英国通商成立までのウイリアム・アダムスの13年間の動向を検証する」 国史学第239号抜刷 2023年(令和5)9月30日
中村喜一著
[史料紹介と考察]
明治38年の按針塚発掘調査 に関わる報告書を含む 周辺史料群二つを発見して
「三浦半島の文化」第30号
P11-26 2021年10月30日
三浦半島の文化を考える会刊
中村喜一編著・刊按針塚発掘調査報告書を尋ねて 真実が明らかに! 遺物は何もなく遺物を収めるべきものもなかった
三浦の安針
加藤三吾著
大正6年4月
明誠館刊 本書は 国立国会図書館サイト から、閲覧、ダウンロード および印刷が可能 Google でも閲覧可能
幸田成友著 「三浦按針」
『史学第15巻第1号』P1-47
昭和11年5月 三田史学会刊
三浦按針餘談
幸田成友著作集
別巻P80~86
幸田成友著
中央公論社刊
幸田成友著 史話 東と西 中央公論社刊
岡田章雄著 三浦按針 創元社刊
髙山慶子著 江戸の名主 馬込勘解由大伝馬町の名主が生きた近世社会 春風社刊
東京都江戸東京博物館 著・刊 大伝馬町名主の馬込勘解由 東京都江戸東京博物館 調査報告書 第21集
[原著論文]
ウィリアム・アダムズの 日本人妻
その出自と名前をめぐって
論叢
玉川大学教育学部紀要
2010年
P117-134
森良和著
三浦按針11通の手紙 企画・編集:田中丸栄子
現代英語訳:ジェフ・ニール
和訳:濱野みさえ 長崎新聞社刊
江頭巌著 三浦按針と平戸英国商館 山口書店刊
P.G.ロジャース著 日本に来た最初のイギリス人ウイリアム・アダムズ=三浦按針
幸田礼雅訳、新評論刊
ジャイルズ・ミルトン著 さむらいウィリアム 三浦按針の生きた時代
築地誠子訳、原書房刊
森良和著 リーフデ号の人びと 忘れ去られた船員たち 学文社刊
牧野正著 青い目のサムライ 三浦按針
伊東観光協会刊
倉本長治著 おらんだエビス貨狄尊・エラスムスとアダムス 叢林書院刊
全国東照宮連合会編・刊 徳川家康公
菊池清著徳川氏発祥の地 世良田東照宮 世良田東照宮刊
ウイリアム・アダムス
三浦按針
横須賀三浦観光叢書
第1輯
横須賀三浦観光協会編刊
横須賀市編 小冊子 三浦按針と横須賀 横須賀市編刊
見道郎著 青い目のサムライ 按針に会いに
かまくら春秋社刊
C.M.プロム著 按針と家康将軍に仕えたあるイギリス人の生涯
下宮忠雄訳、出帆新社
大島昌宏著 海の隼 参謀・三浦按針 学陽書房刊
白石一郎著 航海者 三浦按針の生涯 上 文藝春秋刊
白石一郎著 航海者 三浦按針の生涯 下 文藝春秋刊
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