新設:2010-06-30
更新:2022-11-13
貞正山龍江院沿革
撮影:2010-06-08
【曹洞宗貞正山龍江院 沿革碑】
本尊は釈迦如来、 脇仏は文殊普賢菩薩なり。
当山は明応3年水戸80万石の領主佐竹越後安義輔卿が其の厳父遠江守義定公の為水戸城内に開創せし名監にして、開山は実に秀峰存岱和尚成りとす。
伝え云ふ千波浦の龍神化し来りて、和尚の至誠を蒙り 大戒を受け歓喜して宝珠をささぐ 因って寺を龍江院と称せるなりと 開山存岱和尚は模庵宗範和尚の法嗣にして宝徳2年に誕生あり。
夙に 宗範和尚に投じて業を受け 後 一休禅師に紫野大徳寺に参じて大に所得あり 道誉宗内に喧しく、和尚が当院に住せらるたるは 実に四十有五歳の時なり。
住する事同暦6年相州小田原の大雄山最乗寺に昇住し 大に家風を宣揚し、永正3年師五十有七歳にして宗門一般の品評に拠り 我大本山永平寺に昇住し 高祖下第十世の法席を薫され 翌年参内して御柏原天皇より大功正伝禅師の勅号を賜り 又 ここに於て道誉河内に普く高祖の遺風を顕彰する事を得たるは 全く禅師の賜なりと謂うべきなり。
享禄元年春 師は永平寺を退休して 再び当院に帰錫ある居る事 翌年4月俺然として大寂せられ 時に齢88歳 依て遺弟等相図て 塔を城内に建て 以て其の徳風を追慕す。
其後 星霜推移して門風大に振ひたりしと雖も 慶長7年城主但馬守は事によりて 秋田に改易せらるるにより 十二世玄芳和尚は城主と決別し 自から開山の木像所伝の法宝等を捧持して野州間々田村に至り
不動堂に住し開院して龍昌寺を開き 更に 同州免鳥に至りて一宇を開創して龍真寺と名づく。
同暦18年牧野伊豫守成里 師の徳風を慕いて 知行内羽田に於て貞昌寺の旧蹟に一宇を建立し 和尚を屈請して住持たらしめて 同家代々の香華院となしたり。
以上は素より 寺誌の一端たるに過ぎずと雖 依て以て 我龍江院が宗門歴史上に於る一名刹たる事を推知するに足らん。
1.寺宝旧国宝現重要文化財エラスムス立像
1.唐僧墨蹟 八幅 隠元 木庵 即非 其他
1.菅原道真 墨蹟
1.紫式部 遺硯
1.青磁 高炉
1.開山及二世画像 狩野常信筆
1.出山釈迦 達磨 大権板画像 常信筆
1.開基牧野伊豫守 遺硯
1.旗指物「いろはにほへと」 牧野伝藏仕用
1.薙刀一振 文殊包定作 江戸初期
1.小袖生地 牧野家遺品 桃山時代
1.飾棚 牧野家遺品 桃山時代
1.其の他 古文書 多数
1.牧野家歴代墓碑