新設:2019-07-01
更新:2022-11-13
馬込勘解由屋敷跡
撮影:2019-04-07
案内板 (中央区教育委員会案内板)
馬込勘解由屋敷跡
所在地 中央区日本橋大伝馬町3番地域
この地域には、大伝馬町の草分名主で、公用旅行者のための人馬の継立てなどを行う道中伝馬役を務めた馬込氏の屋敷がありました。
馬込氏は、天正18年(1590)に徳川家康の江戸入府に際して、高野新右衛門・小宮善右衛門らとともに駄馬人足を率いて出迎えたことにより、道中伝馬役を命ぜられて、後の呉服橋御門(千代田区丸の内1丁目)内の辺りに位置した宝田村に土地を与えられました。馬込氏の当主の多くは、代々「勘解由」の通称名を名乗っていました。
慶長11年(1606)江戸城拡張にともない、宝田村の住人たちが現在地付近に移転して、大伝馬町が起立しました。大伝馬町は、京橋にある南伝馬町と交代で道中の人馬の継立てを行い、江戸府内の継立てを務める小伝馬町と合わせて「三伝馬町」と呼ばれました。大伝馬町の伝馬役を務めた馬込氏は、大伝馬町2丁目北側新道の西角に屋敷を構え、同町の名主役を兼帯して苗字帯刀を許されていました。
馬込氏の邸内奥には、宝田村の鎮守が勧請され、その御神体である恵比寿神像は徳川家康から拝領したと伝えられています。正月20日と10月20日には大伝馬町の大店で恵比須講が盛大に行われ、その前日に開かれた市が、現在10月に開かれている「べったら市」につながっています。なお、馬込氏邸内の恵比寿神像は、江戸時代後期頃から現在の宝田恵比寿神社(日本橋本町3-11-11)にまつられています。
平成22年9月
中央区教育委員会
補 足
3番目写真に示す「馬込勘解由屋敷跡図」は 中央区京橋図書館所蔵の「寛保沽券図」によるもの ただし 原本でも解り難いが 次掲【参考文献】P.73の「図1」が解り易い
参考文献
高山慶子著「江戸町名主の金融:大伝馬町名主馬込勘解由を事例として」(三田史学会刊『史学』77巻2/3号 P67-97)
なお 当該文献は 次のURLからPDFファイルをダウンロードして見ることができる
https://core.ac.uk/download/pdf/145747643.pdf
上掲文献の外に 最寄り図書館にあれば 次の文献資料はカラー刷りであり解り易い
東京都江戸東京博物館 調査報告書 第21集「大伝馬町名主の馬込勘解由」のうち 資料翻刻 5「沽券絵図」にみる大伝馬町一丁目・二丁目の土地所有状況(寛保四年)[折込図版]