新設:2019-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2019-04-16
名 称
浄土宗 三縁山 心光院 (三縁山増上寺の塔頭)
所在地
東京都東京都港区東麻布1-1-5
創 建
明徳4年(1393)
酉誉聖聴上人が江戸の「貝塚(現千代田区麹町付近)」に増上寺を創建し 山内に庵(学寮)を設けたことに始まる
開 基
酉誉聖聴上人
開 山
恵照律院光阿上人
本 尊
阿弥陀如来坐像
移 転
1.明徳4年(1393) 江戸の貝塚(現千代田区麹町付近)に創建
2.慶長3年(1598) 増上寺が徳川家の菩提寺となり芝へ移転に伴い随行
3.元禄8年(1695) 徳川2代将軍秀忠公菩提のため増上寺の別院・念仏道場となる
4.宝暦11年(1761) 9代将軍家重公墓所造営のため芝赤羽橋際に移転
5.昭和25年(1950) 区画整理事業のため現在地に移転
その他
徳川2代将軍秀忠公寵愛の白馬を供養した布引観音堂があった
於竹大日如来の「流し板」が奉納され桂昌院(5代将軍綱吉公生母)寄進の袋と箱がある
参考Webサイト
心光院公式サイト
心光院 東京都寺社案内 猫の足あと
「於竹大日如来縁起絵巻」データベース 国際日本文化研究センター
於竹如来
撮影:2019-04-16
案内板
お竹堂
お竹如来像と流し板をまつる。
秋田県能代市出身の神成志保氏により 昭和41年(1966)に一堂が建立され 平成29年にこれを再建した。
寛永年間(1624~1643) 江戸大伝馬町の名主 佐久間勘解由家の見習子お竹は 庄内(山形県)出身にして生まれつき慈しみの心が深く 朝夕の自分の食事を貧しい人に施し 自らは水盤の隅に網をおいて 洗い流しの飯が溜まったものを食料とした。信仰厚く常に念仏を怠らず 大往生をとげたという。
この話を聞いた5代将軍綱吉の生母・桂昌院は 心を動かされ 金襴の布に包まれた箱にお竹の流し板をおさめて 増上寺別院であった心光院に寄進し その徳をたたえられた。
(桂昌院の御詠歌)
ありがたや光と共に行く末は
花のうてなにお竹大日
参考Webサイト
心光院公式サイト
「於竹大日如来縁起絵巻」データベース 国際日本文化研究センター
馬頭観音
撮影:2019-04-16
案内板
馬頭観音
徳川2代将軍・秀忠公の愛馬「布引」を当「心光院」で供養した観音像