新設:2009-01-01
更新:2022-11-13
三浦按針の墓
撮影:2009-05-11
平戸市役所の元サイト「平戸まるごとガイド」および平戸観光協会サイト「達人Naviナビ平戸」の「三浦按針の墓」ページなどを参照した
- 所在地
- 平戸市大久保町
崎方町裏の高台に位置する「崎方公園」の一角に 「三浦按針之墓」が 昭和29年(1954)に建立され その後 周辺広場が整備された
三浦按針(ウィリアム・アダムス)は、初めて日本に来たイギリス人である。
1600年(慶長5)オランダ船リーフデ号(航海長)で豊後(大分県)に漂着し、平戸には1613年(慶長18)にやって来た。
その間 徳川家康は、彼を外交顧問として、今の神奈川県横須賀市に住まわせ、250石を与え召し抱えていた。慶長年間、オランダ、イギリスが通商を許され、平戸に商館を設置するようになったのは、按針の力によるところ大であったといわれている。
後に、平戸イギリス商館長コックスのもとで活躍し、1620年(元和6)平戸で病死した。墓地は定かではないが、1954年(昭和29)三浦按針の墓が建立された
参考Webサイト ~崎方公園の「三浦按針之墓」下から出土した骨に関するもの~
「朝日新聞DEGITAL 2017-09-19」は 「三浦按針之墓」下から発掘された骨が人骨であると 判ったと報道
三浦按針の菩提寺・浄土寺(神奈川県横須賀市西逸見)のサイト「青い目のサムライ 三浦按針」のページに紹介されている
「長崎新聞 2019-04-02」は 平戸市が4月1日「三浦按針之墓」下から出土の人骨は1590-1620年に死亡した北・西ヨーロッパ人の可能性が高いと 発表したことから 「三浦按針の可能性が高い」と報道
平戸市役所サイトは 2019-04-01のプレス発表内容を「大航海時代の外国人の骨の可能性が高い」のタイトルで紹介