新設:2009-01-01
更新:2022-11-13
三浦按針の立像
撮影:2009-05-11
- 「歴史の道」の歩道に設置された立像5体
三浦按針ら次の5人の立像が 「歴史の道」の歩道上に置かれている。
松浦史料博物館に向かって右手前から
リチャード・コックス
ジャックス・スペックス
ウィリアム・アダムス(三浦按針)
フランシスコ・ザビエル
王直
そのうち 三浦按針ほか3人の像写真を掲載する
- 立像設置の経緯を伝える碑
歴史の道「モニュメント群」について
平戸は、古くから中国や朝鮮半島との交流が盛んでした。戦国時代後期、領主松浦隆信(道可)のもと 中国の海商・王直が平戸に本拠を定め、急激な発展をもたらします。これは1550年、ポルトガル船の平戸港入港の契機となります。
同年、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが平戸を訪れ、キリスト教布教を開始しました。
その後、オランダ船デ・リーフデの航海長であったウィリアム・アダムス、初代オランダ商館長ジャックス・スペックス、初代イギリス商館長リチャード・コックスが平戸を訪れ、平戸の海外貿易、文化交流に多大な功績を残しました。
日蘭交流400周年を記念して、この華やかで栄光の歴史の数々を後世に語り継ぐため、歴史の道「モニュメント群」として整備したものであります。
平成12年4月吉日
ながさき阿蘭陀年推進協会会長
長崎県知事 金子 原二郎
平戸市役所サイト「平戸まるごとガイド」から、平戸観光協会サイト「達人ナビ平戸」に引き継がれていたが、その後、見あたらなくなった三浦按針関連記事内容を
次のとおり掲載する
- MEMO
- 三浦按針(ウィリアム・アダムス)は、1613年初めての英国船の平戸入港のとき、平戸に来て自国船隊の為に努力した。
その後、平戸の英商館長コックスのもとにあって、席の温まる暇もない程活躍し、1620年平戸にて逝去した。
- Information
- 1564年イギリスに生まれた。数学、天文、航海、造船等を学び、当時の先進国ポルトガル、イスパニアが東洋に進出していることを知り、祖国英国の為東洋航路の研究に努めた。
日本では、関ケ原の戦いで徳川家康が覇権を確立した1600年(慶長5)、彼はオランダの東洋探検隊の航海長として加わり、リーフデ号に乗り込んで辛酸をなめ豊後に漂着した。
後 家康に謁して寵をうけ、彼の顧問となり三浦郡辺見村に土地と三浦按針の日本名を賜り、貿易、測量、造船、軍の装備等の指導にあたった。顧問役として既に日本と貿易中の諸外人には公平に接し、良く幕府と折衝し平戸の蘭商館を設置させたのも彼の力によるところ大であった。
1613年初めての英国船の平戸入港のとき、平戸に来て自国船隊の為に努力した。
その後、平戸の英商館長コックスのもとにあって、席の温まる暇もない程活躍し、1620年平戸にて逝去した。墓地は大久保町遠見にある。
- なぜ三浦按針という名に?
- 徳川家康から「三浦郡」に領地を賜ったので、「三浦」。当時、コンパスのことを「按針」といい、三浦郡にいる航海士さんということで、「三浦按針」になったとのこと。