三浦按針のプロフィール

三浦按針ら漂着の島(黒島)

三浦按針(ウイリアム・アダムス)が漂着したといわれる佐志生(さしう)海岸沖に浮かぶ黒島

三浦按針(ウイリアム・アダムス)が漂着したといわれる佐志生(さしう)海岸沖に浮かぶ黒島
三浦按針(ウイリアム・アダムス)らが オランダ帆船・リーフデ号で漂着したといわれる佐志生(さしう)海岸沖に浮かぶ黒島 向かって右端の沖にリーフデ号が漂着したものと考えられている
撮影 2009-05-12
三浦按針はガリバーのモデル?
ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)著「ガリバー旅行記」第3部第11章でのガリバーは 三浦按針(ウイリアム・アダムス)がモデルだという説があります

ガリバーは 1709年5月に江戸湾(東京湾)の湾口(Xamoschi)に上陸し 江戸に向かい 長崎からオランダ経由でイギリスに帰りました

その日本上陸地の Xamoschi(ザモスキ)は、Kannonsaki(観音崎)であるというのです。観音崎は、現在の神奈川県横須賀市鴨居の一部で、按針が徳川家康から与えられた領地・逸見に近く、浦賀からはもっと近い処にあります

「ガリバー旅行記」の当該記述を PUFFIN CLASSICS から 抜き出すと下のとおりです。ガリバーが日本に来たときは、三浦按針が日本に住んでいたときから 約100年後のことです。スウィフトは、三浦按針が故国イギリスに宛てた手紙の写しを読んでいたようです

→参考サイト「Gulliver Returns」

 On the sixth day of May, 1709, I took a solemn leave of his Majesty, and all my friends. This Prince was so gracious as to order a guard to conduct me to Glanguenstald, which is a royal port to the south-west part of the island. In six days I found a vessel ready to carry me to Japan, and spent fifteen days in the voyage. We landed at a small port town called Xamoschi, situated on the south-east part of Japan; the town lies on the western point where there is a narrow strait, leading northward into a long arm of the sea, upon the north-west part of which, Yedo the metropolis stands.
参考文献