新設:2009-01-01
  更新:2019-02-14
  
  
  三浦按針の墓
  
  
    
     三浦按針之墓(中央) 三浦按針夫婦塚(右)
    三浦按針之墓(中央) 三浦按針夫婦塚(右)
    
     三浦按針之墓
    三浦按針之墓
    
     三浦按針夫婦塚
    三浦按針夫婦塚
    
    撮影:2009-05-11
    
    
    平戸市役所の元サイト「平戸まるごとガイド」および平戸観光協会サイト「達人Naviナビ平戸」の「三浦按針の墓」ページなどを参照した
    
    
      - 所在地
- 平戸市大久保町
 崎方町裏の高台に位置する「崎方公園」の一角に 「三浦按針の墓」があり、広場が整備されている。
 「三浦按針之墓」は 昭和29年建立され その後 周辺広場が整備された
    三浦按針(ウィリアム・アダムス)は、初めて日本に来たイギリス人である。
    
    1600年(慶長5)オランダ船リーフデ号(航海長)で豊後(大分県)に漂着し、平戸には1613年(慶長18)にやって来た。
    
    その間徳川家康は、彼を外交顧問として、今の神奈川県横須賀市に住まわせ、250石を与え召し抱えていた。慶長年間、オランダ、イギリスが通商を許され、平戸に商館を設置するようになったのは、按針の力によるところ大であったといわれている。
    
    後に、平戸イギリス商館長コックスのもとで活躍し、1620年(元和6)平戸で病死した。
    
    墓地は定かではないが、1954年(昭和29)三浦按針の墓建立し、夫婦塚は、1964年(昭和39)アダムス誕生400年にあたりイギリスの妻の墓地より夫人の霊魂の象徴として小石をとりよせてアダムスの墓に合葬し夫婦塚としたものである。
    
    <注>
    
    2017年6月28日発行「長崎新聞」は 平戸市が「三浦按針之墓」の発掘調査を同年6月27日に開始したと伝えている
    
    2017年9月19日「朝日新聞DEGITAL」は 「三浦按針之墓」下から発掘された骨が人骨であると 判ったと伝えている
    
    三浦按針の菩提寺である浄土寺(横須賀市逸見)のサイト「青い目のサムライ 三浦按針」のページに紹介されている
    
   
  
  冒険者の追悼碑
  
  
    
     三浦按針之墓(中央) 三浦按針夫婦塚(右)
    三浦按針之墓(中央) 三浦按針夫婦塚(右)
    
     英国冒険者追悼碑
    英国冒険者追悼碑
    
    撮影:2009-05-11
    
    
      
      
        - 所在地
- 平戸市大久保町
 崎方町裏の高台に位置する「崎方公園」の一角に 「三浦按針の墓」と「三浦按針夫妻塚」があり、その右手に英国冒険者「追悼碑」がある。
 
      上段写真の右手外側に、「国際交流HIRAの会」が平成12年5月に設置された「追悼碑(下段写真)」がある。
      400年前、夢と希望を持ち、幾多の苦難を乗り越えて英国から平戸を訪れ、その後、祖国の土を踏むことなく、この地に眠る冒険者たちの霊を慰めるために、平戸市民と関係各位の善意によって建立されたと伝え、ウィリアム・アダムス(三浦按針)を含めた18名の名が 次のことば「大航海時代の冒険者たち その礎の上に今の私たちはある 眠り給え ここを小さき英国とし」と共に刻まれている。
      
        
          
          
          
          
          
          
            
              | 1613-09-23 | William Pauling | ウィリアム・ポーリング | second-in-command | 船長助手 | 
            
              | 1613-11-24 | Andrew Pamer | アンドルー・パーマ- | mariner | 船員 | 
            
              | 1615-10-02 | Thomas Davis | トマス・ディヴィス | carpenter | 大工 | 
            
              | 1615-10-10 | Thomas Heath | トマス・ヒース | carpenter | 大工 | 
            
              | 1616-08-30 | John Baylies | ジョン・ベイリー | merchant | 商館員 | 
            
              | 1616- | Robert Eyot | ロバート・ヨート |  |  | 
            
              | 1616-06-07 | Tempest Peacock | テンペスト・ピーコック | merchant | 商館員 | 
            
              | 1620-03 | William Nealson | ウィリアム・ニールソン | merchant | 商館員 | 
            
              | 1620-05-16 | William Adams | ウィリアム・アダムス | captain | 船長 | 
            
              | 1620-12-06 | John Wilkyn | ジョン・ウィルキン | assistant manager | 事務長助手 | 
            
              | 1621-07-09 | John Roan | ジョン・ロウン | mariner | 船員 | 
            
              | 1621-07-28 | John Avery | ジョン・エイヴリー | assistant manager | 事務長助手 | 
            
              | 1621-09-12 | Gabrell | ガブレル | plot maker | 製図手 | 
            
              | 1621-10-09 | Edward Harris | エドワード・ハリス | boatswain | 甲板長 | 
            
              | 1621-10-09 | William Harris | ウィリアム・ハリス | mariner | 船員 | 
            
              | 1621-10-09 | Thomas Gilbert | トマス・ギルバート | mariner | 船員 | 
            
              | 1621-10-09 | Alexander Hix | アレクサンダー・ヒックス | mariner | 船員 | 
            
              | 1621-10-18 | Thomas Harod | トーマス・ハロッド | mariner | 船員 | 
          
        
       
     
   
  
  三浦按針の立像
  
  
    
      
        
         三浦按針(ウイリアム・アダムス)像
        三浦按針(ウイリアム・アダムス)像
        
         リチャード・コックス
        リチャード・コックス
        初代英国商館長
        
         ジャックス・スペックス像
        ジャックス・スペックス像
        初代オランダ商館長
        
         歴史の道「モニュメント群」建立趣意碑
        歴史の道「モニュメント群」建立趣意碑
        
        撮影:2009-05-11
        
       
     
    
    
      - 「歴史の道」の歩道に設置された立像5体
 三浦按針ら次の5人の立像が 「歴史の道」の歩道上に置かれている。
 手前から
 リチャード・コックス
 ジャックス・スペックス
 ウィリアム・アダムス(三浦按針)
 フランシスコ・ザビエル
 王直
 そのうち 三浦按針ほか3人の像写真を掲載する
 
 
- 立像設置の経緯を伝える碑
 歴史の道「モニュメント群」について
 
 平戸は、古くから中国や朝鮮半島との交流が盛んでした。戦国時代後期、領主松浦隆信(道可)のもと 中国の海商・王直が平戸に本拠を定め、急激な発展をもたらします。これは1550年、ポルトガル船の平戸港入港の契機となります。
 同年、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが平戸を訪れ、キリスト教布教を開始しました。
 その後、オランダ船デ・リーフデの航海長であったウィリアム・アダムス、初代オランダ商館長ジャックス・スペックス、初代イギリス商館長リチャード・コックスが平戸を訪れ、平戸の海外貿易、文化交流に多大な功績を残しました。
 日蘭交流400周年を記念して、この華やかで栄光の歴史の数々を後世に語り継ぐため、歴史の道「モニュメント群」として整備したものであります。
 
平成12年4月吉日
    ながさき阿蘭陀年推進協会会長
     長崎県知事 金子 原二郎 
    
    
    平戸市役所サイト「平戸まるごとガイド」から、平戸観光協会サイト「達人ナビ平戸」に引き継がれていたが、その後、見あたらなくなった三浦按針関連記事内容を
    次のとおり掲載する
    
    
      - MEMO
- 三浦按針(ウィリアム・アダムス)は、1613年初めての英国船の平戸入港のとき、平戸に来て自国船隊の為に努力した。
 その後、平戸の英商館長コックスのもとにあって、席の温まる暇もない程活躍し、1620年平戸にて逝去した。
 
 
- Information
- 1564年イギリスに生まれた。数学、天文、航海、造船等を学び、当時の先進国ポルトガル、イスパニアが東洋に進出していることを知り、祖国英国の為東洋航路の研究に努めた。
 日本では、関ケ原の戦いで徳川家康が覇権を確立した1600年(慶長5)、彼はオランダの東洋探検隊の航海長として加わり、リーフデ号に乗り込んで辛酸をなめ豊後に漂着した。
 後 家康に謁して寵をうけ、彼の顧問となり三浦郡辺見村に土地と三浦按針の日本名を賜り、貿易、測量、造船、軍の装備等の指導にあたった。顧問役として既に日本と貿易中の諸外人には公平に接し、良く幕府と折衝し平戸の蘭商館を設置させたのも彼の力によるところ大であった。
 1613年初めての英国船の平戸入港のとき、平戸に来て自国船隊の為に努力した。
 その後、平戸の英商館長コックスのもとにあって、席の温まる暇もない程活躍し、1620年平戸にて逝去した。墓地は大久保町遠見にある。
 
 
- なぜ三浦按針という名に?
- 徳川家康から「三浦郡」に領地を賜ったので、「三浦」。当時、コンパスのことを「按針」といい、三浦郡にいる航海士さんということで、「三浦按針」になったとのこと。
 
 
 
  
  按針終焉の地
  
  
    
     ウイリアム・アダムス(三浦按針)終焉の地
    ウイリアム・アダムス(三浦按針)終焉の地
    撮影:2009-05-11
    
    
     「三浦按針終焉の地」碑
    「三浦按針終焉の地」碑
    撮影:2013-05-30
    
    
    十八銀行右隣の「白石ピアノ教室」前に「終焉の地」碑がある
      
    碑右面に1620年(元和6年)5月16日
    居宅であった此の地
    (木田弥次右衛門宅)にて逝去す
    当時57才
    
    と刻されている
    
   
  
    
     ウイリアム・アダムス(三浦按針)居宅跡
    ウイリアム・アダムス(三浦按針)居宅跡
    撮影:2009-05-11
    
    
     平戸市木引田町431 蔦屋茶寮
    平戸市木引田町431 蔦屋茶寮
    撮影:2009-05-11
    
     
    按針の館
    イギリス人ウイリアム・アダムスは、オランダ艦隊の航海長として、マゼラン海峡を経て1600年豊後に漂着しました。日本に着いたのは5隻のうちリーフデ号ただ一隻、2年の歳月と481人の乗組員の中で動けるもの十数名という過酷な航海でした。
    時は関ヶ原の戦いの年、徳川家康の外交顧問として、神奈川県三浦郡逸見村に知行地を受け、三浦按針と名のりました。
    平戸の城主松浦鎮信は漂着したリーフデ号の乗組員をマレーのバタニアへ送り届けたことで、1609年オランダ商館が建ち、1613年イギリス商館が設置されました。平戸には堺の商人など多く集まり、西の都として栄えました。
    按針は日本と交易する諸外国と公平な立場から商館には住まず、当木田弥次右衛門宅を住まいとし、在宅中はイギリス国旗を掲げて1620年5月16日57歳にして病に倒れ、遠見の外人墓地に埋葬されています。当時三浦按針が住まいしたことから、当屋敷を按針の館とよんでいます。
    
   
  
  英国商館遺址之碑
  
  
    
     英国商館遺址之碑
    英国商館遺址之碑
    撮影:2009-05-11
    
    
    平戸市街から幸橋(俗称オランダ橋)を平戸市役所に向かって渡った右手 平戸市役所前に「英国商館遺址之碑」がある。
    
    江頭巌著「三浦按針と平戸英国商館」は、単に一地点ではなく、英国商館遺址之碑の位置に立ったとき視界に入る 幸橋から市街地側のかなり広い地域に、英国商館があったようで、また、 市街地に記念碑を建て難いため、当該「英国商館遺址之碑」が昭和2年(1927)5月に在日英国人有志によって現在地に建てられたのではという。
    
    オランダ橋を渡ったところに当該碑があるためか、その大きさにも拘わらず 旅人の関心が薄いのではとも思われる。
    
   
  
     英国商館跡碑(十八銀行前)
    英国商館跡碑(十八銀行前)
    昭和50年(1975)十八銀行建立
    撮影:2013-05-30
    
     平戸イギリス商館配置図
    平戸イギリス商館配置図
    平戸ロータリークラブ設置
    撮影:2013-05-30
    
    
     左の「平戸イギリス商館配置図」(拡大)
    左の「平戸イギリス商館配置図」(拡大)
    撮影:2013-05-30
    
   
  
  和蘭商館(復元)
  
  
    
     平戸和蘭商館(2011年復元)
    平戸和蘭商館(2011年復元)
    撮影:2013-05-30
    
    
     「国史跡 平戸和蘭商館跡」碑
    「国史跡 平戸和蘭商館跡」碑
    撮影:2013-05-30
    
    
     「オランダ街道ここに始まる」碑
    「オランダ街道ここに始まる」碑
    撮影:2009-05-11
    
   
  
  崎方公園
  
  
    
     崎方公園から平戸港などの眺望
    崎方公園から平戸港などの眺望
    
     崎方公園案内図
    崎方公園案内図
    
    撮影:2009-05-11
    
    
    平戸市役所 「平戸まるごとガイド」サイトであったが、現在は、平戸観光協会サイト「達人Naviナビ゙平戸」となった三浦按針関連ページなどから引用 
    
      - 所 在 地
- 〒859-5102 平戸市大久保町2529
 
 
- MEMO
- 公園内に、フランシスコ・ザビエル記念碑や三浦按針墓地などの史跡があるため、観光客の利用が多い。高台からの展望はよく、遊具広場や芝生広場、展望デッキなど、見所の多い公園である。
 
 
- Information
- 崎方町裏の高台一帯が崎方公園(さきがたこうえん)である。広場からは、平戸港から市街地中心部の町並みまでを一望できる。
 ヒラドツツジの名所としても知られ、つつじ祭りも開催されている。
 園内には、フランシスコ・ザビエル記念碑、三浦按針墓地などの史跡があり、遊具広場も整備されているので、市民や観光客に多く利用されている。
 公園を登っていくと「遠見(とおみ)」と呼ばれる展望台がある丘に出る。
<注>
    崎方公園へは「松浦史料博物館」への階段下から、設置された幾つかの案内板と案内標識に導かれて訪ねることができる
    
   
  
  松浦史料博物館
  
  
    
     「松浦史料博物館入口」案内標柱
    「松浦史料博物館入口」案内標柱
    歴史の道「モニュメント群」入口に建つ
    
    
    「松浦史料博物館」は、1000年の歴史を持つ平戸藩主松浦(まつら)家に伝わる数多の至宝を所蔵・展示する。
    
    左写真「歴史の道」入口から「松浦史料博物館」入口階段下までの歩道上に三浦按針ら5人の立像が置かれている。
    
    十字路手前の三浦按針像右手に、藤浦洸の「平戸のうた」歌碑と「うで湯・あし湯」がある。
    
    「松浦史料博物館」サイト
    
    本項写真 撮影:2009-05-11
    
    
     藤浦洸の「平戸のうた」歌碑
    藤浦洸の「平戸のうた」歌碑
    藤浦洸は歌碑のある辺りで育った
    
   
  
     松浦史料博物館入口階段(下)
    松浦史料博物館入口階段(下)
    
     松浦史料博物館標石(階段踊場)
    松浦史料博物館標石(階段踊場)
    
     松浦史料博物館入口
    松浦史料博物館入口
    
   
  
     茶室閑雲亭入口(松浦史料博物館)
    茶室閑雲亭入口(松浦史料博物館)
    
     茶室閑雲亭(松浦史料博物館)
    茶室閑雲亭(松浦史料博物館)
    
     茶道鎮信流由来・茶室閑雲亭の解説板
    茶道鎮信流由来・茶室閑雲亭の解説板
    
   
  
  英国商館400周年
  
  
    
     
    
    
    2013年4月1日~12月31日、平戸市は平戸英国商館設置400周年記念事業を展開した
    
    市内の街灯や商店店頭などに、平戸英国商館設置400周年記念事業を伝える 旗や看板が左右の写真のように掲げられていた
    
    撮影:2013-05-30
      
    
    
     
     
   
  
  2009平戸オランダ年
  
  
    
     日蘭交流400周年記念碑
    日蘭交流400周年記念碑
    (平戸港交流広場)
    撮影:2013-05-30
    
    
    1609年 平戸にオランダ商館が設置されて日蘭通商関係が始まってから400年に当たる 2009年に 日本各地で数々の行事が行われた。
    
    平戸市も「2009平戸オランダ年」とし、2009 「平戸オランダ年」 400周年記念事業実行委員会のサイトがありましたが、閉じられたようです。
    
    2009年の按針忌は、5月31日(日)10時から崎方公園の「三浦按針の墓」前で 開催された。 
      
    
   
  
  平戸港周辺他観光
  
  
    
     平戸城天守閣から和蘭商館跡方面
    平戸城天守閣から和蘭商館跡方面
    撮影:2009-05-11
    
    
     平戸城
    平戸城
    撮影:2009-05-11
    
    
     常燈の鼻(和蘭商館斜向い)
    常燈の鼻(和蘭商館斜向い)
    撮影:2013-05-30
    
   
  
     オランダ塀
    オランダ塀
    撮影:2009-05-11
    
     幸橋(オランダ橋)
    幸橋(オランダ橋)
    撮影:2009-05-11
    
     和蘭商館跡山側石垣
    和蘭商館跡山側石垣
    撮影:2013-05-30
    
   
  
     西高野山(最教寺)三重大塔・奥の院
    西高野山(最教寺)三重大塔・奥の院
    撮影:2009-05-11
    
     六角井戸
    六角井戸
    撮影:2009-05-11
    
     平戸観光資料館
    平戸観光資料館
    撮影:2009-05-11
    
   
  
     寺院と教会が見える風景(1)
    寺院と教会が見える風景(1)
    撮影:2013-05-30
    
     寺院と教会が見える風景(2)
    寺院と教会が見える風景(2)
    撮影:2013-05-30
    
     平戸ザビエル記念教会
    平戸ザビエル記念教会
    撮影:2009-05-11
    
   
  
     じゃがたら娘像(平戸港交流広場)
    じゃがたら娘像(平戸港交流広場)
    撮影:2013-05-30
    
     ポルトガル船像(平戸港交流広場)
    ポルトガル船像(平戸港交流広場)
    撮影:2013-05-30
    
     ライトアップの平戸城・常燈の鼻・和蘭商館
    ライトアップの平戸城・常燈の鼻・和蘭商館
    撮影:2013-05-30
    
   
  
     平戸大橋
    平戸大橋
    撮影:2009-05-11
    
     生月大橋(塗装工事中)
    生月大橋(塗装工事中)
    撮影:2013-05-31
    
     塩俵の断崖(生月島)
    塩俵の断崖(生月島)
    撮影:2013-05-31